餘慶寺

 上寺山餘慶寺は天平勝宝元(749)年に報恩大師が開基したと伝えられています。現在も一山一寺多院制の形を伝える貴重な寺院です。
 国指定重要文化財の本堂(観音堂)など数々の貴重な文化財が残されています。県指定重要文化財の梵鐘は宇喜多秀家が寄進したと伝えられています。また、鎌倉時代末期の武将で、宇喜多家の先祖にあたるとの説もある児島高徳の供養塔が境内にあります。宇喜多家の旗印として使われる「兒」の文字は、「児」の旧字で児島高徳の子孫であることにちなんでいるといわれます。


★餘慶寺トピック

 
・鐘はどこからやってきた?

この梵鐘は、寺伝では豊臣秀吉が島津氏らと戦い九州を平定した「九州攻め」の際、遠征した宇喜多秀家が戦利品として持ち帰ったものです。
鐘には、元亀2(1571)年に明国の二人が願主として、大分で鋳造されたものであると刻まれています。餘慶寺には他にも、本堂や仏像などの指定文化財が寺宝として多く残されています。

 

所在地  701-4232 瀬戸内市邑久町北島1187
アクセス ・JR赤穂線 大富駅から徒歩約20
     ・JR赤穂線 西大寺駅からタクシー約10
     ・岡山ブルーライン西大寺IC、または瀬戸内ICから車で約5