亀山城

 亀山城は元は浦上宗景(うらかみ むねかげ)の家臣、中山備中守(なかやまびっちゅうのかみ)の居城でした。しかし、備中守は宇喜多直家(うきた なおいえ)に謀殺され、直家が亀山城に移り住みました。亀山城を拠点として勢力を拡大していったという意味で、亀山城は直家飛躍の地と言えます。また、息子の宇喜多秀家(ひでいえ)はこの亀山城で誕生したと伝えられています。
 亀山城という名前は、本丸と二ノ丸があった弁天山(べんてんやま)の形が亀に似ていたことに由来します。後に、亀山城天守は岡山城本丸の大納戸櫓(おおなんどやぐら)として移築されたと伝わっています。


★亀山城トピック 

 
・亀山城と八丈島をつなぐソテツ

当城で生まれた宇喜多秀家は関ヶ原の戦いに敗れ、八丈島に流罪となりました。流罪の地であった八丈島では、ソテツの花が咲くと赦免の沙汰があると言い伝えられています。明治維新後、子孫が赦免された際にもソテツの花が咲いたという言い伝えがあり、亀山城本丸跡にも八丈島から株分けされたソテツが植えられています。

所在地  709-0621 岡山県岡山市東区沼1801
アクセス ・JR山陽本線 上道駅からバスに乗り「浮田校口」下車、徒歩約5