乙子城

 乙子城は天文13(1544)年に宇喜多直家(うきた なおいえ)によって築城されたという、直家にとって最初の居城です。『備前軍記(びぜんぐんき)』によると、直家は天文12(1543)年から備前国の有力者、浦上宗景に従っていました。初陣をはじめいくつかの戦で軍功を挙げた直家に対して、宗景が乙子の地を与え城を築かせたといわれています。
 また、乙子は吉井川河口にあたり、南には児島湾が広がっていました。九州から畿内への航路が通っているこの海域の押さえとしても乙子城は重要な拠点だったのです。
 この頃の宇喜多家は実収が少なく、直家自身も家臣とともに苦労を重ねていたようです。


★乙子城トピック 

 
・児島湾を抑えるために

乙子城の南に広がる内海は、児島郡が細川氏、上道郡が松田氏、さらに犬島周辺の海賊といった勢力が入り乱れる場所でした。
古くは源平合戦の舞台にもなった瀬戸内海は、戦況を左右する重要な航路となっているため、乙子城はこの内海の東の入り口を押さえる拠点でもありました。

所在地  〒704-8137 岡山県岡山市東区乙子
アクセス ・JR赤穂線 西大寺駅から牛窓行きバス、「神崎」下車、徒歩約15