砥石城跡
宇喜多家の城にして、直家生誕の地
砥石城(といしじょう)は、文明年間(1469~87)頃に備前国守護代の浦上氏によって築城されたと伝わる山城です。政治・経済の拠点だった備前福岡や千町平野を見下ろす砥石城は、備前国を掌握するための重要な城の一つでした。
『備前軍記』などによると、戦国時代、この城は宇喜多能家の居城でした。そして享禄2年(1529)、能家の息子である興家の子としてこの城で生まれたとされているのが、後に備前・美作を統一して現在の岡山の礎を築く戦国大名、宇喜多直家です。
直家が6歳の時、祖父・能家が西隣の高取山城主・島村観阿弥に責められて自害すると、父・興家とともに砥石城を脱出し、備後鞆や備前福岡、備前笠加を転々としました。
『備前軍記』などによると、戦国時代、この城は宇喜多能家の居城でした。そして享禄2年(1529)、能家の息子である興家の子としてこの城で生まれたとされているのが、後に備前・美作を統一して現在の岡山の礎を築く戦国大名、宇喜多直家です。
直家が6歳の時、祖父・能家が西隣の高取山城主・島村観阿弥に責められて自害すると、父・興家とともに砥石城を脱出し、備後鞆や備前福岡、備前笠加を転々としました。
★砥石城トピック
・親子三代、重要な拠点
砥石城は宇喜多直家誕生の地であるとともに、島村盛貫の奇襲を受けて祖父の能家が自害し、直家が父・興家とともに脱出した場所でもあります。直家は後に砥石城を取り戻し、弟の春家を城主にしました。天正2年まで春家が在城したあとの記録は残っておらず、その後は廃城にされました。